平成25年11月30日土曜日

ドリアン

私はドリアンが好きです。ドリアンは東南アジアの果物ですが、世界中に輸出されています。この果物は妙なにおいがします。初めて食べる人は大体「臭い」と言います。でも、食べた後で「味がいい」と言うかもしれません。私はドリアンを食べれば食べるほど好きになります。
 
ドリアンの果肉は柔らかいのに、殻はとても硬いです。食べるためには、ナイフを使ってください。熟したドリアンの殻は比較的割れやすいですから、ナイフを使わなくてもいいです。そして、ドリアンのにおいは強いので、一つ注意しなければなりません。公の場所でドリアンを食べないようにしてください。
 
ドリアンの殻はなぜそんなに硬いのでしょうか。どんな動物から身を守るために硬い殻を進化させたのでしょうか。私には分かりません。硬くて、重くて、時々「割れるかどうか分からない」とか「本当に面倒くさい」とか思います。でも、役に立つ時もあります。例えば、貴方がドリアンを買って、家へ帰る時、誰かに「金を出せ」と言われた場合は、どうすればいいでしょうか。彼は手に銃とかナイフとかを持っているかもしれません。その時は、もちろんドリアンを持って、彼の頭を殴ります。強烈な一撃を受ければ、彼は必ず重傷を負うはずです。やり過ぎてもいいです。「正当防衛」だからです。
 
果肉の味もいいし、栄養もたくさんあるし、殻も兵器になリ得ます。そんな果物は世界中にドリアンだけです。どうでしょうか。買いたいですか。中華街で買えますよ。

平成25年4月15日月曜日

昔はペットがいた?

「明治時代まで、日本の犬は全部野良犬だった。」ある教授はそう言った。

私はそんなことを信じらない。

この図を見て。

家の中で飼っていたら、ペットの犬だろう。People even made a character for it. 


平成25年3月22日金曜日

作文:唐塔

私わたしの生まれ育った町まちの名は「鄆城(うん じょう)」だ。とても小さな町だ。この町の中には、一の塔のような古い建物がある。町の人々はこの建物を「唐塔(とう とう)」と呼ぶ。

子供の時、唐塔の近くに小さな沼地があった。「神話時代の天下九沢の一、雷沢は、恐らくここにあった。」老人たちは言った。でも、どう見てもあの沼沢地は神代の遺跡ではなかった。常識的に考えれば、あれはきっと黄河の水害地だったはずだ。

少し不思議だが、三歳の時の思い出が今でもある。その時、唐塔の沼沢地は見渡す限り果てしなかった。沼沢地の高い葦の中に、一つの細い道があった。僕は母と手を繋いで葦原を歩いた。遥か彼方に唐塔が見えた。まるで廃墟となった城のようだった。水面からすっと立ち上がる唐塔は、寂しくて、悲しそうだった。そして、夕暮れ時ときは凄く恐ろしく見えた。

唐塔の門は常に閉まっている。誰も入らない。そんな所にはもちろん怪談がある。妖怪のようなものも見える。例えば、不死身の黒い蛇や足のない燕や巨大な蠍など、町の人はそのような話をよく知っている。「井戸の底には、不死身の黒い蛇がいる。」そんな話を聞いても、私はあまり怖くはなかった。でも、夜になると、悪夢を見た。私は汚い井戸に閉じ込められている。水面の下には、得体の知らない水生動物がたくさんいる。そして、どこかに大蛇がいる。

中学校一年生の時、好奇心に駆られて、一度唐塔を登った。ある秋の日、友達の張君は唐塔の門を開けることを私に打ち明けた。

放課後二人で唐塔を探険しに行った。その時、政府が沼と葦をほとんど処理していたが、塔はまだ水で囲まれていた。でも、運よく橋があった。塔に入った時、私はすごく緊張して興奮した。

塔の中は照明がなく、真っ暗だった。塔は水の中に立っていたので空気と壁は湿っていた。そして、階段は高すぎるから私ははって登らなければならなかった。蠍の話を聞いていたので、壁に触わることが怖かった。でも、進むためには触らければならなかった。今までの人生でそんな恐ろしい経験をしたことはなかった。

運よく蠍が一匹も出なかった。井戸はどこにも見たらなかった。例の黒い蛇に会うことは一生ないだろう。

唐塔はもと七階の塔だった。でも、二階までは水の下に沈んでいる。今は五階の塔だ。二十分ほど後で、私達は唐塔の上まで登った。雑草は至るてころに生えていた。木も一本あった。千年の長い間、これらの植物はここで自由に成長していた。外を眺めると、町は全すべて見み渡ちことができる。

この記憶は私の大切な記憶だ。なぜなら、この記憶の中の風景は今も消えた。唐塔はまだ立っている。でも、水はもうない。当時の沼沢地は賑やかな広場になった。今商業地区に囲まれている唐塔は、もう寂しくないのだろうか。今の子供たちは、神と妖怪の話をまだ知っているのか。私は知らない。

「足のない燕」だげは実在するの動物だ。この燕は唐塔の壁に住んでいる。町の人はこの燕が地上に降りるのを一度も見なかったから、「足のない燕」と呼ぶ。毎年夏の黄昏時に、無数の燕が唐塔の周りを飛ぶ。このような儀式はもう千年続いているのだろう。「燕」だが、冬に南に行かず、塔の中で冬眠する。ほんとうに変な動物だ。沼沢地が消えたから、蚊と蟲も少すくなくなった。食糧が不足した燕たちは、今は大半死んだ。

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【Thanks to 隣の礒谷君。】

平成25年3月6日水曜日

日本のアニメ

私の同世代人たちは日本のアニメを見て成長した。もちろん私も好きなアニメがたくさんある。中国の『改革開放』は1980年代に始まったから、子供の時、古いアニメも新しいアニメを一緒に見た。例えば、『鉄腕アトム』(中国語:『鐵臂阿童木』)と『ドラゴンボール』(『七龍珠』)は同じ時間でテレビに放送されていた。だから、私たちのアニメの観念は日本人のとはちょっと違う。

小学校入学前の一番鮮やかな記憶はたぶん『一休さん』(『聰明的一休』)と『ドラえもん』(『機器貓』)だった。今でも疲れた時は、この二つのアニメの曲を聞いて、笑う。

中国の小学校は大変な所だ。でも、自由な時間もあった。その時、テレビをつけて、アニメを見た。一番好きなアニメはもちろん熱血格闘アニメだった。『北斗の拳』(『北斗神拳』)、『聖闘士星矢』(『聖闘士星矢』)、『天空戦記シュラト』(『天空戰記』)、『六神合体ゴッドマーズ』(『六神合体』)、『超時空要塞マクロス』(『超時空要塞』)、『鎧伝サムライトルーパー』(『魔神壇闘士』)、『魔神英雄伝ワタル』(『魔神英雄傳』)、『鉄拳チンミ』(『少年金米』)、『燃える!お兄さん』(『森林好小子』)、『らんま1/2』(『亂馬』)、『幽遊白書』(『幽遊白書』)などが大好きだった。

中国の中学校と高校は小学よりもさらに大変な所だ。全ての時間は勉強に使わなければならない。六年の間、テレビを見ることは禁止されて、何も見なかった。

私はとうとう大学に入った。新しい人生は素晴らしかった。昼に寝たり、朝ご飯を食べないでいたり、授業をサボっても気にしなかった。久しぶりのアニメも見た。でも、六年の間、アニメの世界は変わった。私は『るろうに剣心』(『浪客劍心』)の時代を越えて、『ナルト』(『火影忍者』)と『ワンピース』(『海賊王』)の時代に入った。たくさん種類のアニメを見た。例えば、『ブリーチ』(『死神』)、『鋼の錬金術師』(『鋼之煉金術師』)、『フルメタル・パニック!』(『全金屬狂潮』)、『反逆のルルーシュ』(『叛逆的魯魯修』)、『デスノート』(『死亡筆記』)などだ。

その時、少し哲学の本を読んで、少年アニメがちょっとものたりなくなった。大友克洋と押井守と今敏の作品を見て、彼らの世界観に影響された。今も押井守の『攻殻機動隊』(『攻殻機動隊』)は偉大なアニメだと思う。他にも『新世紀エヴァンゲリオン』(『新世紀福音戰士』)や、『キノの旅』(『奇諾之旅』)、『蟲師』(『蟲師』)は全て思慮に富んだアニメだ。宮崎駿の作品も大好きで、スタジオジブリのアニメは全部見た。

何も考えたくない時には、楽しいアニメが見たかった。『あずまんが大王』(『阿茲漫畫大王』)や、『アベノ橋魔法☆商店街』(『阿倍野橋魔法商店街』)や、『みなみけ』(『南家三姊妹』)や、『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(『熱帶雨林的爆笑生活』)や、『天体戦士サンレッド』(『天體戰士』)など、たくさん軽いアニメを見た。大学を出る時、『萌えアニメ』は流行した。『涼宮ハルヒの憂鬱』(『涼宮春日的憂鬱』)や『らき☆すた』(『幸運星』)、『けいおん』(『輕音少女』)、『とある科学の超電磁砲』(『某科學的超電磁炮』)などは代表的な『萌えアニメ』だった。そういったアニメは典型的なオタクが見るものだった。だが、私も一時期こうしたものを見て、オタク化していた。

大学の後半から大学院の前半までは、『かっこいい』アニメが好きだった。例えば、押井守の『御先祖様万々歳』(『先祖大人萬萬歲』)、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』(『星際牛仔』)と『サムライチャンプルー』(『混沌武士』)、中村健治の『怪 〜ayakashi〜化貓』(『怪·化貓』)、新房昭之の『さよなら絶望先生』(『再見,絕望先生』)、湯浅政明の『四畳半神話大系』(『四畳半神話大系』)などだ。

今、どのようなアニメが一番好きだか?答えは『銀魂』(『銀魂』)のようなアニメだ。。。

最近アニメを見ることが少なくなった。でも、暇な時には見ている。

平成25年2月25日月曜日

作文:友達に旅行先を紹介する

芭蕉さん、

私は『奥の細道』を読みました。懐かしいですね。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」さすが風流な人です。

春が来ましたね。また、旅行の季節です。芭蕉さんはどこへ行きたいですか。新しい俳句と文章を作るため、また一緒に旅行しませんか。

私はもう一度松島に行きたいです。前回、芭蕉さんの「松島や ああ松島や 松島や」の句を聞いた時、「なんか日本の一番良い俳句を聞いた」と思いました。ぜひもう一回行きたいです!

「春は曙」、早く起きなければいけません。飛行機で行きましょう。松島の月は有名ですね。ハイキングして、観光船で海の風景を見て、夜月を見たいです。明日、江戸空港で会いましょう。

じゃ、また。

河合 曾良

平成25年2月20日水曜日

About Communication

The theme of our project is depicting love scenes in different cultures, e.g. Japanese culture vs. U.S. culture.

A few days ago I went to a Ramen restaurant with two of my Japanese friends, and we talked about this. Last night I joined a Japanese gathering party and gathered more information. Unfortunately, as I expected, the more information I get, the more confused I am. I always suspect culture's role in determining people's behavior in this modern era. Except certain customs like the very unique Valentine's Day in Japan, I think approaching women/men per se really depends on the character of the actual actor in the scene.

What we can do in this podcast, however, are stereotypes of cultures. What we can make out of it, of course, is a comedy. What we can learn learn from this project, therefore, is to laugh.

In terms of what "communication" means to me, well, I learn Japanese because I need to read Japanese papers and to know Japanese scholarship in my field. For now, talking in Japanese is not of big concern to me. 

平成25年2月5日火曜日

好きな物

元気な人じゃないですから、趣味は全然ないです。ですから、好きな物もないです。

毎朝起きて、学校に行って、本と論文を読んで、宿題をします。そして、寮に帰って、寝ます。他の活動はないです。

時々疲れました。哀れな人生です。

平成25年1月24日木曜日

冬休みのアクティビティー

今年の冬休みは四週間でした。かなり長い休みでしたが、国に帰りませんでした。ずっとアメリカにいました。

私はアメリカのニューヨークに住んでいます。住んでいる所は「インターナショナル ハウス」です。そこには色々な国の人がいます。日本の友達も多いです。でも、冬休みの間はみんながいませんでした。私は一人暮らしでした。

うちで紅白歌合戦を見ました。今年の紅白はあまり面白くなっかたです。でも、堀北真希ちゃんが大好きです。

元日にボストンへ行きました。友達と一緒にボストンの公園で新年の花火大会を見ました。よかったですね。明けましておめでとうございます!

後でニューヨークの家に帰りました。たくさんのアニメや漫画などを読ました。たぶんたくさん読み過ぎたと思います。時々現実なのか妄想なのかわからなくなりました。夢の中で、「俺は、海賊王になる男」と言いました。

論文も書きました。発表もしたいです。私はオタクじゃないですよ。以上。


平成25年1月21日月曜日